アングリーハート

「怒り」という感情が
どういったメカニズムで生まれるのか、
について考えていたのですが


根底にあるのはやはり
「周りの人や物事が自分の思うように、
自分の都合のいいように動かない」
というところだと思うのです。


たとえば
電車の中で隣に座っている奴のウォークマンの音モレとか
タバコをポイ捨てしてる奴を見たときとか
チャリを盗まれたときとか
コンビニで買った弁当のあっため具合が中途半端だったときとか
信号無視の車とか
ネット上のニュースでジャスラックの理不尽な搾取っぷりを見たときとか
etcetc


きっと自分の中に
「周りの人や物事は最低限こうであることが
望ましいor当然or許される範囲である」
みたいな基準があって、
それに沿っているか、もしくはズレがあるかどうか
というところが「怒り」という感情が発生する境目ではないかと思うのです。
そのズレが大きいほど怒りが大きくなるんです。
なんか前にも似たような記事を書いた気がしますが。


世間一般で守られているルールに
反する振舞いをしている人に怒りを感じるのは
「守って当然である(と自分の中で認識している)」
という基準と反しているから…
という例がわかりやすいかと思います。


逆に、そういった基準を心の中に持つ
ということは


「全ての人・物事が
自分の都合のいいように行動・進行してほしい
or自分にとって都合の悪いような行動・進行はしないでほしい」


といった考えを持つこととイコールなのではないかと思います。
そんな考えは自己中なんじゃないかなと。
もちろん道徳とか常識とかルールを守ることも大切ですけど。


何かに対して怒りを感じたときに
ちょっと冷静になってみて
「ああ、自分の中の『こうであるべきだ』
という基準からズレがあるがために
こうして怒りという感情を抱いてしまっているなぁ」
みたいに考えられる余裕を作り出せれば
もうすこし気楽に生きられるかなと思ったりもします。