なんで生きてるかわからない中年男性30代後半

・その必要もないのに週5日働いてるのも意味わからんなあ
働くの週4日にできねーかなと思い
「休日は何ともないのだが、仕事の日に体調が良くない事が多いので
(→これも一応本当の事ではある)
出勤を週4にできないか」とかダメ元で会社に頼んでみたらOKをもらったので
今年3月くらいから週4ペースで働いてる
収入はちょっと減ったけど特に以前に比べて生活に困る事も全くなく
休日が多くて連休の後半等は過ごし方に困る位になってる
人手不足で色々ギリギリになってるところ、周りより多めに休みをもらって
何だか申し訳ない気持ちもないではないのだが
休むことに罪悪感を覚えたらきっとダメだ
健康第一、会社の為の人生じゃねーしなあ
生活の為に働くんであって、会社はその手段でしかねーからなあ
(少なくとも自分にとっては)

・週4にしてから体調が良くなったかというと色々微妙で、
それは季節的なものなのか年齢的なものなのか仕事が原因なのか、
メンタルの方がちょっとアレだったりする(事がある)
「休みの日に仕事のこと※で不安や心配が絶えず浮かんできて頭をもたげる」
(※自分の不手際手抜かり見落とし失念などで何かトラブルが起きているのでは
次の出勤で何か言われるのではないか等)という事が多く
休みなのに気が休まらないのである
「オフの時間にいくら仕事のことを考えたところで現実は変わらないし意味がない、
なるようにしかならんので仕事の事は仕事の日に考えたらいい
折角のオフの日なんだから仕事の事は忘れてリフレッシュしないと」
などと理屈ではわかっていても不安が拭えないのだ

心配事の9割は起こらない なんて言われているし、
実際に出社してみたら何もなかった、杞憂だった という事が殆どではあるのだが
それを理屈でわかっていても不安が拭えないのだ

ヒドイ時は3連休をもらったのに
そのほぼ3日ずっと不安にとらわれて心が休まらねー なんて事もあった
今の私にとって、叶えたい未来があるとしたらそれは
「オフの時間を仕事の事で無意味に必要以上に不安にとらわれる事なく
心穏やかに過ごせるようになる事」なのである

・心配とか不安の心のメカニズムってもともと
原始の頃から備わっている生存のためのモノなんだとかって何かで見たんですよね
明日の食糧の心配とか、外敵に襲われないようにとか
その辺を全く心配せず「何とかなるべ」とか楽観的に考えてたら
もちろん死んでしまう(事になりうる)わけで…
仕事をする上でも「失敗したら多方面に迷惑がかかるぞ」みたいな
危機感とか心配とかってある程度のところではまあ必要だと思いますけど
休日でも心配するとかって明らかに必要外だなあと
なんかこれアレだな… アレと似ている気がする
「異物を排除する免疫機能が過剰に働いて暴走した結果、花粉症となり母体を苦しめる」みたいな…

体調の悪さが心配・不安を呼ぶのか
心配・不安がありすぎて体調が悪くなるのか

体調悪い(=弱ってる)時に心配事・不安に襲われやすいってのはあるかも
命を落としやすい状態だから行動には慎重にならんとダメだぞ、という防衛システム的な…

・オフの時間に記憶に戻ってきて自分を苦しめる事が他にもあって
過去の友人関係におけるやらかし・しくじり・失態、
親しく接してくれた友人らに自分から相応の義理を果たせなかった(と思う)事…
つきあい方が良くわからなくなり疎遠になっていった事?が度々後悔のネタとして浮上する 
勿論楽しかったという記憶もあるのだが
今更過去を悔いたところで何にもどうにもならん事など理屈ではわかるのだが…
こちらからマメに連絡をする等といった事で
友人関係をもっと丁寧に積み重ねていっていれば
今のような「リアルで顔を合わせたり話したりするのがほぼ家族・会社の人のみ」
みたいな閉塞停滞人間関係にはなっていなかったのでは…という後悔もあり

・閉塞停滞人間関係で人生が混迷を極め袋小路に入り、光の速さで詰みへと向かうのを感じる
統計的にも独身は早く死ぬのだという
→行動パターンが一人用に最適化され生きる世界・視野が矮小になる

興味の範囲でしか本を読んだり音楽を聞いたり出掛けたりしない
(人に薦められたり紹介されたり触発されたりする機会がなくなる)
食べたいものしか食べなくなる等
(野菜はネギ・生姜・にんにくさえ食ってればいいみたいに考えてるトコ ある)
一人で行くのはちょっと…みたいな所には行かなくなる

・特に衣食住に困ってなくて収入もあり
特に養う家族もおらず、収入や(オフの)時間のほとんどを自分の為に使えるなんて身分で
こんな事を考えるのはきっと傲慢なんだろうが(生きたかったのに生きられなかった命や、
理不尽な形で奪われた命もあるだろうのに)
何で生きてるかが割と高い頻度でよくわからなくなるし、
メンタルの落ち具合が酷くて「いっそ人生を終わらせた方が楽なのでは???」と考えた事もある
橋を渡っている時・階下が見通せるショッピングモールの吹き抜けなどを目にしている時などに
そこから転落する自分の姿を想像してしまうし、
複合型商業施設内のカラフルなベビー用品コーナーなんかを見ていると(目に入ると)
「生を受けたこの世が夢や希望・喜びに満ちており、生きるに値する世界である」
と思い込ませるためにこんな色使いになってんのかな とか考えてしまう

・意味や理由がない(見いだせない・見つからない・何だかよくわからない)なら人生を終わらせて良い、
なんて短絡な飛躍論理も良いとこだろうけど
そんな感じにしか考えられないようなメンタル状態というのはあるかなと

人生を終わらせたい(積極性)というより
意味や理由が見いだせない状態が慢性化して
生への執着が薄れていく(消極性)感じ?
一人で狭い世界で生きていると
より一層その事に気づきにくくなるような気がする
 
・こんな事書いてるうちに
あの頃は辛かったなあ、こんな事もあったなあ なんて客観的に見られてる自分がいますけど
いつまた同じような状態になっても不思議ではないなと
三十代も後半になると体へのガタの来かたが加速度的だと以前書いた気がしますが、
今年は心身共に過去一番のレベルで不調・不安定が酷くてガッタガタだった気がする…
今思えば
生きてるだけで御の字、死んでないだけで十分なのでは という境地さえ見えてる感ある
40年弱も生きてきてガタガタボロボロの体が曲がりなりにも生命体として"一応の"形を保っていることが奇跡にさえ思える