人として軸がぶれている

「間違い」とは常に相対的な概念であって
「正しいこと」「正解」が存在して初めて
成り立つ概念のはずなんです。


たとえば
テストにおける間違い。
これは決まった答えが用意してあるので
(問題の種類・性質にもよりますが)
「間違った答え」を比較的明確に導出しやすい。


仕事における間違い。
これも決まったやり方がある程度用意してあるので
(仕事の種類・性質にもよりますが)
「間違ったやり方」を比較的明確に導出しやすい。



「人として間違っている」なんて言い回しを
どこかで見たり聞いたりしたのですが


そういうことを言う人に問いたいのは
「じゃあ、人としての正解って何?」と。
生き方に正解ってあるのかと。
万人にとって普遍的に通用する
「正解」な生き方ってあるんですかと。





だいたい「生き方」とか「人として」とか…


「生きる方法」って
生きるのに方法・形式・道筋・決まったやり方が必要なんですか?
生きるためのレシピなんてありますか?


「人として」って
一体どこからの目線で言ってるんですか?
ヒトを超越した神的存在ですか?
人を裁くのもまた人であり、
「人として」とか言うのもまた人であります。
「人としての正解・間違い」の尺度も
決して絶対尺度などではなく、常に人の数だけ尺度が存在します。


「生き方」とか「人として」とか
そんな言葉にとらわれて生きることをそもそも
どうかと思うのです。




生きるためのレシピなんてなーーーい
なーーーい さーーーー