Give and Hate
名言を色々読んでいくうちに
「人生をわかったような気になる」のが楽しいというか
「人生わかったような気になっている」自分を
一歩引いた目線で眺めるのが楽しいですね
(※名言についてピックアップして
思ったことを書き殴っておく、の第二回です)
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ある人間を憎むとすると、そのときのわたしたちは、
自分自身の中に巣食っている何かを、その人間の像の中で憎んでいるわけだ。
自分自身の中にないものなんか、わたしたちを興奮させないもの。
誰かを憎むにしても好むにしてもそれは
「自分の中で作り上げた都合のいい人間像」に対してなんじゃなかろうかとか
実際のモノとそれがいくら乖離していようと…
憎しみや怒り、ヘイトなどの感情が湧いたら、湧いた事に気づいてしまったら
ちょっと立ち止まって、その感情の矛先や出所に間違った判断はないだろうか?
とか考えられるくらいでないとですよ
ツイッターでRTされてきて知った、
「面白い日常漫画を描く人」をフォローしてみたら
なんか その日常漫画以外のツイートを目にするたび
「あれッ この人ちょっとアレな人…?」というのがモヤモヤ湧いてきて
結局フォローは外してしまった という事が最近ありまして
日常漫画を見る限りはそんな「アレな人感」はないんだけどなあ…
(むしろ日記漫画に綴られている内容に共感を覚えたりする位だったんだけど)
きっとこれも 自分の中で作り上げた都合のいい人物像
とのギャップから生じるサムシングなのでしょう…
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真の意味でぼくを豊かにしてくれたのは、
ぼくが受け取ったものより多くのものを与えた場合だけだったということを
認めねばなりません。
どーにも自分は
「何かをしてもらう」事に慣れすぎている・期待しすぎているキライがあるのですね
ご飯を用意してもらう、あいさつしてもらう、声をかけてもらう、気を遣ってもらう、
いいねをもらう、リプライ・コメントをもらう…
してもらう事で承認欲求が満たされたり
してもらう事を心の拠り所(のひとつ)にしてしまっているような感も…
ウーム、いかんなこんな事では
「してもらえたらありがとう、してもらえなくても当然」
なんて別の人の言葉も浮かびましたけど
自分から人様に何をしてあげられるか…させていただく事ができるか を
行動指針の一つにしてもいい…しなきゃいかんと思う